
1:2023/05/21(日) 18:03:27.38ID:hP7ndset9 鹿児島城の石垣について触れた、熊本藩密偵の報告書(部分、熊本大学附属図書館所蔵)
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熊本大学永青文庫研究センターは18日、江戸時代初期に熊本藩が薩摩藩に派遣した密偵の報告書が見つかったと発表した。鹿児島城の石垣工事の状況や、薩摩藩内で禁じられていた一向宗(浄土真宗)信者の島流し、藩主の娯楽など18カ条が記載されている。
薩摩藩政時代の資料は、戦災や明治初年に処分されたため失われており、センターは薩摩藩の政治基盤を理解する上で貴重な資料としている。
報告書は熊本藩家老を務めていた松井家の文書群から発見された。慶安4(1651)年2月27日付で、同年正月17日から2月25日まで薩摩に入った村田門左衛門が、帰藩後に重臣で葦北番代の坂崎清左衛門尉に宛てたもの。幕府は鎖国下でも琉球を通じ海外貿易を行う薩摩藩の動向を警戒しており、隣接する熊本藩に「抑え」の役割を期待していたとされる。
鹿児島城の石垣について、南側は洪水で流れ、東側は24、25間(約45メートル)ほど修築されていたと報告。それぞれ高さは堀の水際からの5間(約9メートル)と記す。また、門を建てるため柱や材木を集めている様子もうかがえる。
一向宗の取り締まりを巡り「百姓」の信仰が発覚した際は、夫婦を引き離し屋久島などへ島流しするといった処分内容を紹介。「御楽しみは、猪狩りばかり」と、当時の薩摩藩主、島津光久の娯楽に関する記述もある。
5/18(木) 15:15配信
https://news.yahoo.co.jp/articles/123c7650607f29487acf9471f296e66b888a6316
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